ペルーで人生の春休み

青年海外協力隊による首都リマでの生活の様子やマチュピチュ以外のおすすめ観光地をご紹介。

ファクトリーレディからキラキラ・オフィスレディになりたい

オシャレをしてヒールを履いて首からIDカード下げて財布片手に

東京の高層ビル街を颯爽と歩くキラキラ・オフィスレディになりたいです。

雑誌を参考に着回しコーデを考えたり、

仕事帰りにキレイな夜景が見えて大きなお皿にちょこっとしかご飯がのっていないようなオシャレなところでご飯を食べたり、

『ザ・女子~~!!』っていうドラマに出てくるような人になりたいです。

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中・高校生時代

中高一貫の私立に通っていて、校則が厳しく制服は全部制定。着くずしたり化粧をしたら、すぐに先生に注意されるような学校でした。学校帰りの寄り道も校則違反でした。家のそばからバスに乗って学校の前で降りていたということもあり、全くオシャレする気もありませんでした。ひどいニキビ肌だったので、休みの日に化粧してオシャレするという気分にもなりませんでした。年頃と言うこともあり、雑誌を見てオシャレに憧れはしましたが、遠い世界でした。

大学時代

工学部機械系の学科に進学しました。特にコレがしたい!という熱意を持って機械系に進学したわけではありませんでした。広く浅く学べるから機械!くらいの軽い気持ちでした。通っていた高校が理系に強かったので、理系に女子が少ないっていうのも大学に入ってから知りました。

このレベルの認識だったので機械系が何をするかもよく知らず…、入学前は白衣を着て楽しい学生時代を思い描いていました。そしたらまさかの「機械系は白衣を着ない」という事実。ブルゾンを着て旋盤授業。全くイメージしていたキラキラ・リケジョライフはおくることができませんでした。

サークルは1リットルのガソリンで走行距離を競うエコカー作り。おそろいのツナギを着て大会に参加しました。

修士2年の24歳の誕生日、「小さいころ、24歳になって作業着着て実験しているとは思ってもいなかったな」と思ったことを、今でも強く覚えています。幼いときにイメージしていた24歳は、自分はヒールを履いて街中で働いていました。

と言っても、作業着が板につく私。背も高いので、とても着こなしていました。オシャレに気をつかわず、普段はジーパン&スニーカー。オシャレしようと思っても上手くできないし時間かかるし、すぐ挫折しました。結局、作業着に甘えているのです。キラキラとは縁遠かったですが、満足しています。

社会人時代

就活中、もちろん技術系だったので作業着を着て働くことはイメージしていました。何社か、作業着が気に入らなくて選考辞退しました。

私の働いていた会社は、工場勤務だと事務系でも作業着でした。事務系採用の同期の女子は作業着を着て仕事することにすごいストレスを感じていました。そりゃそうだと思います。キラキラしたいですよね。聞いたところによると、入社前後のギャップを小さくするために就活イベントで「工場勤務になると作業着を着る」とアナウンスするようになったそうです。

私の働いていた会社の作業着は、サイズは見える位置に書いてあります。身長が高いこともあり、男性陣と同じMを着ていてからかわれることもありました。

取引先のおじさまには、作業着を着ていて親近感が湧くと言われ、とても良くしていただきました。今でも連絡を取っています。

と言うことで、社会人になっても相変わらずの作業着。工場勤務だったので、通勤服もジーパンとスニーカー。自転車通勤と言うこともあり、オシャレする気にはなりませんでした。またもや作業着に甘えていました。

 

 

ファクトリーレディにはなれたけど、ずっと憧れているキラキラ・オフィスレディへの思いが捨てきれないです。隣の芝はとても青くて、オフィスレディへの道が遠くなればなるほど、思いは強くなります。

次は、雑誌やドラマに出てくるようなオシャレした姿で働きたいです!キラキラ・オフィスレディの夢を叶えたいです☆

 

※ファクトリーレディでもオシャレできますが、私が勝手にオシャレする気になれず、オシャレしてこなかっただけです。キレイなリケジョ&ファクトリーレディはたくさんいます。

 

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